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    管理人のコメント Hahahahaha! 〜カテゴリーだぜ〜

    タグ:プロ市民

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    1: 雪崩式ブレーンバスター(大阪府)@\(^o^)/ 2014/08/07(木) 14:07:07.16 ID:G8m17CFX0.net BE:151728184-PLT(13121) ポイント特典
     政府が沖縄県の負担軽減の一環で検討している米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の米軍オスプレイの佐賀空港への暫定配備を、米側が拒否していることがわかった。

    佐賀空港に長期間配備すれば、日米両政府が合意した普天間基地の名護市辺野古への移設に支障をきたしかねないと判断した。米側は防衛省に佐賀へは訓練移転にとどめ、暫定配備はしない意向を伝えた。

     政府は2015年度から陸上自衛隊に導入するオスプレイを佐賀空港に配備する方向で佐賀県などと調整している。同時に、普天間基地の移設が完了するまでの間、海兵隊のオスプレイも
    「暫定的な利用」(小野寺五典防衛相)という形で佐賀空港に配備することを検討し、沖縄の負担軽減につなげる考えだった。

     米側が拒否を伝えた背景には、配備が長期化すれば「佐賀空港でそのまま運用すればいい」と辺野古移設の不要論が高まることへの懸念がある。
    沖縄県は普天間基地の危険性除去のため、5年以内の運用停止を求めている。
    移設の完了までには代替施設の設計や建設工事で約9年かかるとみられ、佐賀への配備期間は4年以上になる可能性が高い。

     米側の意向を受け、日本政府も「現実的には暫定配備は難しい」(防衛省幹部)との判断に傾いている。ただ、11月には普天間問題が焦点となる沖縄県知事選を控えており、移設容認派の選挙を優位に運ぶためにも、負担軽減策をアピールしたい思惑は強い。

     このため、当面は米国と暫定配備の可能性を協議する姿勢を示しながらも、実際は訓練移転に向けた調整しか進めないやり方となる可能性もある。
    5日から米国を訪問した防衛省の徳地秀士防衛審議官が、こうした事情について米側に理解を求めたとみられる。

     ただ、「暫定利用」の中身を具体的に示さないまま沖縄の負担軽減を掲げる政府の手法は「二枚舌ととられ、沖縄の誤解を招きかねない」(自民党幹部)と危惧する声も出ている。

    http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE07H03_X00C14A8MM0000/?dg=1
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    1: 番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です 2014/07/30(水) 17:41:02.48 ID:bbrl54up0.net BE:289765331-2BP(4504)
    @tomikotakino
    Dr.Martens Jpnが一般公募から選んだデザインがこれ。時代に逆行し過ぎてダサい。もうマーチンは履きません。恥ずかしいです。
    Shame On You
    no title
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    1: Hi everyone! ★@\(^o^)/ 2014/07/28(月) 10:36:43.30 ID:???0.net
     「集団的自衛権は他人のけんかを買うこと。逆恨みされますよ」。神戸市の街頭での泥憲和(どろのりかず)さん(60)=兵庫県 姫路市=の「叫び」が、インターネット上で広がっている。四月にがんで余命一年と宣告された元自衛官。集団的自衛権の行使容認が閣議決定される前日の六月三十日、マイクを握った。

     初対面の若者たちに交じり、解釈改憲反対のビラ配りを手伝っていた。聞こえてくる演説を「分かりにくい」ともどかしく感じた。
    話が途切れた時、たまらず「ちょっとしゃべらせて」と、頼み込んだ。

    「私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました」
    「自衛隊の仕事は日本を守ること。見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけない」

     五分余りで話し終わると、自民党支持者を名乗る中年男性が「あんたの話はよう分かった。説得力あるわ」と寄ってきた。

     フェイスブックに全文を載せると、瞬く間に賛同する人たちが転載を繰り返し、ネット上に広がった。離れて暮らす長男から「おやじ、ほめられすぎ」と冷やかされた。

     泥さんが自衛隊に入ったのは一九六九年。六年間働き、故郷の姫路市に戻って皮革加工の仕事を始めた。被差別部落出身の仕事仲間と付き合いを深める中で、両親や親類と縁遠くなった。

     差別感情が強く残っている現実に直面し、被差別部落の解放運動に関わり始めた。その延長で、平和運動にも携わる。自衛隊を違憲と考える仲間たちに、合憲という自分の意見を納得してもらうため、勉強を続けてきた。自衛隊は「専守防衛」。「自衛官時代に、国民を守り憲法に従うという役割を教わった」。神戸での街頭演説は、これまでの活動の到達点でもある。

     二〇〇九年十二月、京都朝鮮初級学校に対する街宣活動が起きた。
    「日本からたたき出せ」「スパイの子ども」。ネットで知った泥さんは、ヘイトスピーチと呼ばれる差別的な発言をするデモに憤り、現場で反対の声を上げる「カウンター」活動も始めた。

     憎悪がむき出しとなる社会と歩調を合わせるように、政府は戦争放棄の憲法を解釈でねじ曲げようとする。
    がんの宣告を受けたのを機に仕事を辞め、講演会など表舞台にも立つようになった。

     「ヘイトスピーチをする人を蹴散らすことはできるかもしれない」。中心人物を孤立させ、社会的に包囲することが自分の役割と感じている。「その間に多くの人が良識を発揮してほしい。日本国民のピースマインドは、ばかにできませんよ」

    ソース(東京新聞) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014072802000122.html
    写真=集団的自衛権に反対する泥憲和さん
    no title

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