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1: 番組の途中ですが\(^o^)/です 2014/07/21(月) 15:13:47.22 ID:m431uGCB0.net BE:444017196-2BP(1000)
当時のヨーロッパにおいて、昆虫とはどのような存在として捉えられていたのかについて見ておきます。 蜜蜂や蟻などのように集団を作って暮らし、かつ、その中に女王や働き手などの階層がある「社会性昆虫」の研究については、比較的さかんに行われていました。社会性昆虫は、社会体制としての王政や、宗教との関係でよく研究されていたのです。

一方で、それ以外の虫についてはどうかと言えば、「悪魔が創ったもの」という迷信を、
当時のヨーロッパ人たちは抱いていました。それはこの時代の昆虫の描かれ方を見れば一目瞭然です。
カイコなどは角を生やした悪魔の顔をしています。触角が角に見えたのです。
昆虫は汚いもの、人間に災いをおよぼすもの、そういった感覚を一般の人は持っていたのです。

ところがファーブルは、野にいる昆虫のありのままの姿を、思い込みを排してありのままに観察しようとしたのです。

スカラベが糞球を作って転がし、梨球に卵を産み、そこで幼虫が育つ生活史の一部始終、
または狩りバチが獲物を一撃で仕留める驚くべき方法、そしてシデムシやハエなど、死体を食べる虫が
自然界で果たしている役割の大きさ、などなど。言ってしまえば、いつ答えにたどり着くとも知れないことへの挑戦であり、
答えを突きとめたところで特許などを取れるわけでもない、お金にならない研究です。

でも、そうやって研究を続けて、ついに答えにたどり着いた時の喜びがいかに大きいか──。
それは、たとえばファーブルがスカラベの梨球を発見した時の感動から私たちにも伝わってくるでしょう。

昆虫の生活史をありのままに観察する。そうすることで、ファーブルはどんな生き物にも
自然界の中で何らかの役割があり、生き物はそれぞれに価値を持っている、という生命観に到達しました。

自然界は、一見無駄とも思える余裕によって成り立っている。すべての生き物には役割があり、価値がある──。
ファーブルは生きた昆虫を観察し続けることによって、そのことを確認したのです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140721-14072100-nhktextv-cul

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