1: Hi everyone! ★ 2014/07/20(日) 13:16:05.66 ID:???0
ソース(両丹日日新聞) http://www.ryoutan.co.jp/news/2014/07/20/008063.html
写真=弘前からずっと行動を共にしてきた水筒、飯ごうを手に抑留体験を語る平野さん
no title
 世界記憶遺産への登録を目指すシベリア抑留と引き揚げの資料。引き揚げは舞鶴だけのことではなく、日本全国にかかわりがある。
福知山市にも多くのシベリア抑留者が帰郷してきた。半田の獣医師、平野力さん(90)も、その一人。体験してきたことを問うと、「仲間が
バタバタと死んでいった。そりゃあ、みじめなものでしたよ」と、静かに語り出した。

■「ダモイ、ダモイ」にだまされ 貨車はシベリアへ向かった■

 市内拝師の生まれ。現在の岐阜大で学んで獣医師になり、昭和19年10月1日に弘前の連隊へ入隊。10日ほどで大陸へ渡った。
関東軍に着任した頃には、南洋で玉砕、撤退が続き、人も物資もどんどん南方へと移していた。満州に残っている部隊は「鉄砲の
撃ち方も知らない者ばかりになっていました」。開拓団などから「根こそぎ動員」で現地召集された人たちで補充していたからで、
敗戦、武装解除を経てソ連軍の指揮下に入り、シベリアへ移送された日本兵の中には、こうした「つい先日まで開拓民」だった人も
多かったという。
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